今回から大好きな漫画に関して語っていきたいなと思っております。
日本から世界に誇れる文化の一つ、日本漫画。
最古のものでいうと、平安時代の「鳥獣戯画」なんて言われています。
第二次世界大戦後からどんどん広まっていき今や大衆娯楽やサブカルチャーとして認識されていますが、その奥の深さや芸術性はメインカルチャーと比べられないほどに高いと思っています。
今回は特に漫画史には欠かせない手塚治虫さんに焦点を当てて書きたい思います。
手塚治虫さんは日本人であるならば誰でも一度は聞いたことがある人物かと思います。
漫画の神様として崇められている人物であり、1989年2月9日に60歳でこの世を去った漫画家です。
彼は戦後の漫画とアニメのパイオニアであり、牽引者でもありました。
手塚治虫さんのが書き下ろした映画的な構成とスピーディな物語展開を持つ「新寶島」が、物語を重視した「ストーリー漫画」の原点といわれています。
なぜ原点かというと、もともと漫画というのは風刺が中心の作品で、ストーリー仕立てであったとしても、それが一度に何ページも続くような壮大なものではなかったんです。
それを、完全なストーリー仕立てで、吹き出しの変化や、コマの配置の仕方(コマ割り)などの変化を多用し、長編ストーリーに仕立てたのが手塚治虫さんなのです。
それまでの作品は、一つの決まった形で作られた漫画だったのですが、ここで、吹き出しの表現方法や、コマの並べ方、広さなど割り振りによって、表現に幅を持たせたのです。
これは今の日本の漫画産業を生み出した最大の技術革新であり、人気を博し、それ以降、次第にストーリー漫画は子供漫画の主流となっていきました。
この手塚治虫さんの手法は、藤子不二雄さんや石ノ森さんなど昭和初期に活躍した名だたる漫画家たちに影響を与えました。
そこからさらに劇画が発展していき、人間の心情まで漫画家たちが描くようになったことで、それまで子供が対象だった漫画は大人にまで広がっていきました。
手塚治虫さん死後1980年代にはそういった大人向け漫画は成熟期を迎えていて、手塚治虫さんのそういったテイストを継承し発展させた漫画が主流な時代になってきました。
その中でも特に、最近映画化された、宇宙人と地球人の不思議な絆を描く岩明 均の「寄生獣」は手塚治虫の路線を継承している作品です。
他にも中国の「三国志」に新たな着眼点を当てた「蒼天航路」は歴史ベースを盛り込みつつ手塚治虫テイストが中に入っていたりと、独自発展を遂げているものがちらほら目につきます。
また2000年に入っても手塚治虫さんの継承は色濃く残っており、手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」をもとに新たな構想を膨らませた「PLUTO」は、近年の漫画の動きを象徴する作品です。古い時代の良さを織り交ぜつつ発展させる、継承から発展への道筋を作り出した重要な作品であるといってもいいかもしれません。
手塚治虫さんの漫画の神様たる所以はの一つには、その作品数の多さも挙げられます。
かの芸術家パブロ・ピカソも生涯に数万の芸術作品を残していて、多作で有名です。
手塚治虫さんも生涯15万枚にも及ぶ原稿数で漫画を描きました。
浦沢直樹さんと手塚眞さん(手塚治虫の息子)は以下のように語っています。
浦沢: とある編集者に聞いたんですが手塚先生は「読者が待ってる」という言葉が口癖で、ある時原稿の締め切りがタイムリミットを過ぎていて、編集者が「配送トラックが間に合いません」というと、「トラックは僕が手配しますから」と仰られたというエピソードを伺いました。
手塚: 平気でそういう事を言いますね。ある時は空港の税関で漫画を描いていて「後もう少しで終わるから飛行機を待たせておいて下さい」と言って実際に飛行機を止めた事もあるんですが、その時の賠償金は結構な負担だったらしいです。漫画を描くには紙とペンだけあれば出来るので安上がりで良いと思っていたら、結構お金がかかるんです(笑)。
漫画はセリフのふきだし中に文字が入るので写植を打つのですが、それはすぐには出来ないので絵よりも先に編集者に受け渡ししなければならない。通常だと原稿に鉛筆でセリフを描いて渡すのですが、その時間もないので印刷所に編集者が控えていて口頭でそれを伝えるんです。ピノコのセリフとか。傍から観てると可笑しいですよ。しかもそれを手元では別の漫画を描きながらやるんです。
なるほどその多作の理由は彼の場合は異常なまでの読者愛でもあったのかと感心させられます。
浦沢直樹さんは手塚治虫さんを敬愛しており、また別の場面でこのようにいっています。
「2発までは行ける。3発目が出せるかどうかだ。」
プロ漫画家独自の観点なのでしょうけれど、本物の漫画描きというのはそのような性質のもののようですね。
作家の村上春樹さんも「職業としての小説家」という本で「小説家というのは参入障壁は低いが書き続けつことが難しい」といったようなことを述べていたような気がします。
手塚治虫さんはただ、多作なだけでなく、「火の鳥」、「鉄腕アトム」、「ブッタ」、「ブラックジャック」、「ジャングル大帝」、「アドルフに告ぐ」、「どろろ」など歴史に残る名作を数多く残しています。
これだけの名作を書き上げるには並大抵じゃないほどの知識量も蓄積されていることがわかります。
漫画家を目指す以上、誰かの影響を受けることはほぼ間違いなく、その影響を受けた漫画家の先をただ取っていけば必ず手塚治虫は存在します。
手塚治虫という人物がいたおかげで今ある漫画文化の発達はあるものなので、漫画好きの人は是非一度読んでみることをお勧めします。